駒ヶ岳は3万年以上前に成層火山を形成してから現在に至るまで、少なくとも3回の山体崩壊と9回の軽石噴火を起こしていることが噴出物を調べることによってわかっています。古文書の記録にある噴火は1640年をはじめとして大小あわせて二十数回あります。この中でも1640年、1694年、1856年、1929年の4回の噴火は火砕流を伴う激しい噴火でした。
 1640年(寛永17年)の噴火では最初に火山体の一部が南と東に崩れました。東に崩れた火山体の一部は内浦湾に流入し、津波を起こし、700人以上の死者を出しました。その後噴火は激しい軽石噴火へと移り、軽石が降り注ぎ火砕流も発生しました。この噴火で降下した軽石は森町で100cm以上も積もりました。1640年の軽石噴火は1929年の噴火に比べ数倍も大きなものでした。
 1694年(元禄7年)の噴火は詳しい記録は残されていませんが、東麓の鹿部漁業センター付近では200cmの降下軽石を堆積させています。
 1856年(安政3年)の噴火は多くの記録が残されています。それらによれば、8月26日の早朝から山麓で地震が頻発し、同日午前9時頃には激しい軽石噴火が始まり、約6時間くらい続きました。東山麓では約60cmの厚さの軽石が降り積もり、これによって2名の死者及び多数の負傷者を出し、17軒の家屋が焼失しました。またこの噴火でも軽石噴火の途中から火砕流が発生し、火砕流は南麓の折戸川をせき止め、留の湯で約20人の死者を出しました。この噴火以降に火口内には小さな溶岩ドームが形成されました。
 1929年(昭和4年)の噴火は、はじめ小噴火から始まり、9時間後に激しい軽石噴火へと移行しました。火砕流は軽石噴火が始まって3時間後に発生し始め、軽石噴火は14時間継続しました。この噴火では降下軽石堆積物が鹿部市街で100cm以上堆積し、死者2名・負傷者4名を出しました。そのほかに家屋・家畜・耕地・漁場に大きな被害を出しました。この1929年噴火前の20年間には小噴火が多発しています。
 1942年(昭和17年)の噴火では、山頂の火口原に長さ1.6kmの大亀裂を生じました。また記憶に新しい1996年の小噴火は上に記した4回の噴火に比べると非常に小さなものですが、この噴火により、1929年火口の南側に新たな火口列を形成しました。1996年の小噴火では火山灰が風下に少量積もっただけでしたが、山頂に積もった火山灰がその後の大雨で泥流として流れ出し、農地や家屋に若干の被害を出しています。
 その後、1998年に1回、2000年に4回小噴火(水蒸気爆発)をしていますが、被害はありませんでした。
駒ヶ岳の噴火史


歴史時代の噴火史
西暦(邦歴)
規模
噴火に伴う前兆現象の記録
1640年
(寛永17年)
大噴火
山鳴り著し
1694年
(元禄7年)
記録不明
1765年
(明和2年)
小噴火
記録不明
1856年
(安政3年)
大噴火
2日前から鳴動、数時間前から震動を感じ、少量の降灰あり
1888年
(明治21年)
小噴火
特になし
1905年
(明治38年)
2日程前から鳴動を感じ、小爆発がおこり2〜3日後やや大きな爆発となる
1919年
(大正8年)
噴火の前日午後に駒ヶ岳付近で地震及び鳴動あり
1923年
(大正12年)
特になし
1924年
(大正13年)
約30分前から鳴動あり
1929年
(昭和4年)
大噴火
2〜3日前から鳴動、10〜13時間前に地震あり小爆発にいたる。小爆発開始後9時間30分で大噴火が始まる。
1937年
(昭和12年)
小噴火
2日前からときどき鳴動や少量の降灰あり
1942年
(昭和17年)
中噴火
4〜5日前にドーンという音響を聞く、30分前に小地震を記録する
1996年
(平成8年)
小噴火
特になし
1998年
(平成10年)
特になし
2000年
(平成12年)
特になし・4回小噴火を繰り返す