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七飯町史(明治1年~明治20年)

西暦年 年号 七 飯 の あ ゆ み (明治1年(1868)~明治20年)
1868 明治 1年 箱館戦争の際、峠下、藤城、七重、大川等で激戦があった。
  2年


R・ガルトネルの耕地租借事件。「七重村開墾条約書」七重、 飯田、大川、中島の耕地300万坪を99年間の租借について箱館奉行との間で締結し、蝦夷島総裁が裁可した。
箱館戦争の犠牲者として、在住秋山光太郎、荒井新五郎外3名、藩の者4名、計9名の官修墓地が七飯に、宮野国吉外4名。
外脱走軍の墓も宝琳寺にある。
蝦夷を北海道と改め、11国86郡に分け、七重は渡島国、亀田郡七重村となる。
軍川村は鹿部村から分村、独立一村となる。
ガルトネルと七重村地所貸付契約書の解消の交渉がはじまった。
  3年
ガルトネル事件が解消現地で調印。償金6万2千5百弗を政府が支払った。
軍川、砂原間延長12キロの道路が東本願寺の直営工事として施行された。
ガルトネルの租借地に開墾場が設置された。
  4年



開拓使、七重官園に永住農20戸を移住させた。
七重官園で甘藍をさいばいした。また米国産洋種牝馬が導入された。
開拓使権判官杉浦誠、大沼に鯉、鮒を移殖。
こうぞの苗を石州津和野から移した。
牧草種子をアメリカから輸入して播種した。
  5年



鷹の巣付近に永住農11戸移住(現桜町方面)。
国道(現5号線)が開削され峠下にホテルが完成した 。
峠下に駅逓が開始された。
函館、札幌間の国道(現5号線)一部開通(峠下から蓴菜沼を経て森に通じる新道)。
宮崎旅館蓴菜沼に操業。
七重官園で製紙事業を開始。
  6年


開拓使、函館-青森間定期航路を開設。
七重官園に事務所、生徒舎、牛馬舎が建設された。
中島、藤山、城山の各郷が正式に村となつた。
開墾場が七重開墾場と命名され、牧畜を開始、製錬所で粉乳、バターを試製した。
七重官園は函館支庁の所管から東京本庁農業所管となる。
  7年 七重開墾場再び函館支庁の所管となる。
七重開墾場仮病院が創設された。
  8年



七重郵便局が開局。
七重開墾場を七重農業試験場と改称、水田試作。
エドウイン・ダン七重農業試験場勤務となり農業全般について指導した。 (10月帰京翌9年札幌詰となる)。
米国産緬羊を導入した(メリノー種)。
試験場で製紙開始(美濃、半紙、半切)。
馬鈴薯から澱粉を製造。
  9年



七重農業試験場でアメリカ小麦を栽培した。
函館支庁、蓴菜沼に鯉鮒を放流、以後15年間漁を禁じた。
戸長、副戸長が任命された。「七重村平民 保坂順竜 渡島国第 四大区戸長申付候事」。
明治天皇、七重農業試験場へ行幸。
黒田長官名による法規の制定。17条に、「七重官園(試験場) にある、杉、桧、赤松の苗木は運搬便宜にして地味よろしきところを選び明春から各所へ植付くべし」。
国道五号線の松並木は、天皇巡行に際し、官園の一部に植樹したものを長官が見て前記法規が制定されたものと思われる。
  10年

クラーク博士が七重試験場を訪れた。
七重試験場内に水車場を設置。
21馬力の機械を配し製粉、精米などを行い、小麦粉、ソバ粉を産出した。
函館に於いて博覧会が開催。
七重小学校が開校。
  11年 七重駅逓設置。
七重農業試験場を七重勧業試験場と改めた。
  12年 函館分局から試験場まで電話が架設された(民間の電信も取扱開始)。
大川村、中島村合併して大中山村。七重村、飯田村合併して七飯村となった。
試験場でブドウ酒、ブランデーを製造した。
小松宮、有栖川宮、ドイツ皇帝ハインリッヒ殿下、イタリー皇族ゼノア公等等蓴菜沼に来遊。
中島(大中山)駅逓廃止。
  13年 峠下郵便局開設。
七飯、大中山、鶴野、藤城、峠下、軍川の各村に共同墓地を設定。
峠下小学校、軍川小学校開校。
ドイツ皇帝ハインリッヒ殿下再度蓴菜に来遊。
ロシヤ式建築の角積学校が新築された。
七飯外5カ村戸長役場(七飯、軍川、城山、藤山、峠下、鶴野)が七飯に設置された。
桔梗村外3カ村戸長役場(大中山、赤川、石川、桔梗)。
  14年


藤山村、城山村合併して藤城村となった。
軍川開進社(士族授産)開墾を開始した。
明治天皇北海道巡行。蓴菜沼宮崎重兵衛方で小休止。峠下、七重勧業試験場に立ち寄られた
大中山小学校開校。
峠下駅逓廃止、七飯駅逓設置。
  15年 七重勧業試験場を七重試験場と改称、農務省農務課に属した。
七重開墾仮病院が払下げられ、七重病院が創設された。
  16年 七重試験場を七重農工事務所と改称。
製粉場の直売所を函館、寿都、七飯に開いた。
  18年
峠下郵便局が廃止された。
函館病院付属脚気病室2棟が七飯に新築された。
桔梗外3カ村戸長役場が廃止となり、大中山村が七飯外5カ村戸長場に入る。
  19年 峠下に曹洞宗明林寺が布教を開始した(一行院合併)。
昨年建築の脚気病室2棟が七重病院に払下げられた。
  20年 七重農工事務所内の水車場及び機械を民間に払下げた。
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