田村半吾たむらはんご 1882~1964
品種改良に尽力した村長
田村半吾は、明治15年に栃木県鹿沼市樅(モミ)山に生まれました。明治36年に函館に移住してからは、ロシア語の研究に専念し、その後、日露漁業会社の通訳としてロシアで生活し、また、陸軍通訳官としてシベリアで従事した経歴の持ち主です。
しかし、大正13年に「人間に必要な食物を生産する仕事が有意義である」と考え七飯に農地を求め移住。今後、果物の需要が増すだろう・・・という思いから、翌年より本格的に果樹栽培に着手したといわれます。
また、彼は昭和7年から「丸形身不知」という梨の木に「ゴールデンデリシャス」というリンゴの木を接木します。その結果、外観がゴールデンデリシャスに似ながらも、梨のように甘味が強い果実が結実するようになりました。この成果は、当時の学説では不可能とされていたリンゴと梨の接木が可能であることを証明することになり、田村半吾の功績はセンセーショナルな話題になりました。
その後も、果樹栽培・新品種改良に尽力し続けた田村半吾は、七飯農業会の会長を務め農業の発展に貢献し、また、昭和26~30年に七飯村村長に就任すると、今度は村の発展のために情熱を注いだ人物でもあります。
彼が生み出した新品種のリンゴは、その後「たむら」と命名されましたが、残念ながら、現在はほとんど栽培されておらず、お店で買うこともできません。田村半吾の功績と当町が日本における西洋リンゴ発祥の地である歴史を伝えるため、七飯町歴史館では「たむらりんご」を屋外展示として栽培し、多くの人々に紹介するとともに、2008年秋からからこの「たむらリンゴ」を使ったジャムを数量限定で、製造・販売しております。