宇喜多秀夫うきたひでお 1863~1948
大沼の黎明期を駆けた男
宇喜多秀夫は、文久3年に香川県一宮村で生まれ、酒造業を切り盛りしていましたが、かねてより北海道に渡って開拓をしたいと考えていたこともあり、その夢を叶えるため、実家の酒造業を兄にまかせ、明治25年に、北海道へ渡り、北海道庁に勤務しました。
道庁勤務の間、函館や小樽・寿都などで、酒税関係の担当をしながら、来るべき本格的な移住の場所を熟考していたようですが、大沼の自然や景観の美しさに惹かれて、小沼付近の土地を購入しました。そして、明治30年3月に道庁を辞めて故郷へ戻り、同年5月に5戸の家族を引き連れて大沼へ入植しました。
入植後は、宇喜多農場を創設し、金比羅山から吉野山麓付近を開拓しましたが、当時、大湿地だった大沼の開拓は困難を極め、農耕を可能にするために排水溝を開削することに多くの労力を費やしたといいます。また、農場敷地内に函樽鉄道の敷設を誘致したことにより、明治36年に場内に停車場(駅)が設置されました。そのため、多くの人が入植してくるようになり、農場も盛んになってきました。
また、香川の金刀比羅宮から棟札を頂き、開墾地近くの山に祠を建立し納め、金毘羅山と称されるようになりました。現在、この祠は大沼神社そばの小山の頂きに移されています。そのほか、宇喜多秀夫は自身の経営する農場だけではなく、大沼小学校の創設に携わったり、大沼公園の整備にも尽力するなど、広く大沼周辺の発展に寄与しました。