迫田喜ニさこたきじ(のぶじ) 1849~1928

七重官園を記録した男

迫田喜二は、嘉永2年に鹿児島の千石馬場町で生まれ、戊辰戦争では、黒田清隆の配下として上野の戦いに参加したという。明治5年、開拓使の役人を志願して東京から函館に向かう開拓使御用船東京丸に乗船しました。

函館に着いてすぐ、新道開削工事(現在の国道5号)が始まり、喜二は職工や人夫の指揮監督にあたりました。工事が終わってからは、七重官園に勤め明治17年まで在勤します。その間に彼が記した筆記類が、現在、七飯町指定文化財に指定されている「迫田家文書」です。

明治19年、七重官園の場長だった湯地定基の推薦で、日高国浦河支庁長に任命されます。また、三県制度が廃止されてからは、函館監獄(現在の函館刑務所)の初代典獄に任命されるなど、その人望と行動力が買われ各所で活躍しました。

官の役職を退いてからも、明治35年に七飯村議会議員に当選するなど、七飯村の行政のために尽力しました。

七飯町歴史館