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名曲「千の風になって」誕生の地

名曲「千の風になって」が七飯町大沼で誕生したというお話しは本当ですか?

本当です!平成19年(2007年)11月15日(木)七飯町大沼地区の人々が集う大沼婦人会館で開催された、「新井満さんの講演会とシンポジウムの夕べ」において住民を前にしてはっきりとお話くださいました。大沼の写真

「千の風になって」の誕生秘話については、平成19年発刊の文芸春秋9月号に掲載され、地域でも静に浸透しておりましたが、住民を前にしての「本当です」とのお話と、「千の風」が生まれた地として大いにPRしたらとの力強い提言に勇気付けられ、地域では七飯町大沼の魅力を全国に発信しようと「千の風プロジェクト」が組織されています。

新井さんは、17年ほど前に函館の友人の紹介で別荘を購入されたそうです。それから毎年家族でここ大沼を訪れ、この静かな大自然の中で過ごすようになったそうです。
千の風が発表されてから、「自由訳」シリーズ「青春とは」「般若心経」「イマジン」「老子」「十午図」などを出版されていますが、いずれの作品も大沼の自然の中でじっくりと訳されたそうです。

また、大沼の良さは第一に「静けさ」と話しています。新井さんのあこがれの歌人、石川啄木が眠る函館市に近いこと、景観も世界に誇れるほど素晴らしいと言っておりますが、なによりも静かなことが魅力のようです。

大沼は、昭和33年(1958年)7月に国定公園に指定されています。自然公園としては、全国に先駆け、明治36年(1903年)に北海道の公園予定地として計画され、開発や保全が図られてきました。名曲「千の風になって」はこの素晴らしい自然景観を全国の人々に知っていただくこと、そして、いつまでも後世に伝えることが大切なことを教えてくれています。

新井 満(あらい まん)さん プロフィール

新井満さん顔写真作家、作詩作曲家、写真家、環境映像プロデュ-サー、長野冬期オリンピック開閉会式イメージ監督など、多方面で活躍したのち、2021年12月3日、逝去されました。

 昭和21年(1946年)新潟市生まれ、上智大学法学部を卒業後、電通に入社。在職中はチーフプロデューサーをつとめた。
小説家としては昭和63年(1988年)『尋ね人の時間』で芥川賞を受賞。平成15年(2003年)11月に発表した写真詩集『千の風になって』(講談社)と、それに曲を付け自ら歌唱したCD『千の風になって』(ポニーキャニオン)は様々なアーチストがカバーし、平成19年(2007年)日本レコード大賞作曲賞を受賞。現在もロングセラーを続けている。

日本ペンクラブ常務理事として、平和と環境問題を担当。
著書多数。近著には『青春とは』(講談社)、『自由訳 般若心経』『自由訳 イマジン』『自由訳 老子』(以上朝日新聞社)、『自由訳 十牛図』(四季社)、絵本詩集『この街で』(PHP研究所)『ふるさとの山に向ひて』(NHK出版)などがある。

公式サイト マンダーランド通信

千の風モニュメント

除幕式の写真  名曲「千の風になって」モニュメント(通称「千の風モニュメント」)が完成し、除幕式が行われました。
場所は、名曲「千の風になって」が生まれた七飯町大沼国定公園の湖畔、西大島の北東に設置されました。
除幕式には、「千の風になって」を訳詩、作曲された新井満さんご夫妻も出席され、新井さんは普通のモニュメントや記念碑は自己主張が強すぎて美しい景観を阻害するものが多いが、この千の風モニュメントは控えめでとても良い。
大沼の景観を損なうこともなく、碑の上に立っても寝転んでもいいめずらしいモニュメントだと話されていました。

設計を担当した渡辺さんは、再生をイメージし、自然石のななえ石が大地から力強く湧き出る形を表し、その頂点(中央)に御影石のプレートで「千の風になって」名曲誕生の地を配することで、大沼にふさわしい再生と風が吹き渡る姿をイメージされたそうです。
除幕式には、大沼地域の子供たちをはじめ多数の方が参加され、東京からも出版社やマスコミの方など多数お越しいただきました。

モニュメントから眺める大沼の写真

お問い合わせ

商工労働観光課観光係

電話:0138-65-2517

FAX:0138-66-2054

Eメール:212-kankou@town.nanae.hokkaido.jp

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