コンコード町との交流~歴史
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七飯町の国際交流 国際交流の拠点 北緯42度の里づくり
歴 史
箱館開港と御手作場
嘉永7年(1854年)、箱館開港によって七重村が外国人の遊歩地となったこともあり、また外国船の需要を満たすため、幕府は七飯に御手作場や牧場を開き、蝦夷地での農業の可能性を探る直営の実験場を開設した。ガルトネル事件
明治2年(1869年)蝦夷地を占領していた榎本武揚が、西洋農法による七飯開墾のため 300万坪の広大な土地をプロシア人のガルトネルに貸し付ける契約をした。このため、箱館戦争終了後明治政府が膨大な賠償金により取り戻したが、(ガルトネル事件)この土地の返還は新政府が直面した極めて重大な外交問題であった。
七重官園と農業技術
その後、ガルトネルが手がけた農場は明治政府の手に引き継がれ、七重官園となった。この官園は農事試験場の冠称で、名称は七重開墾場、七重農業試験場、七重勧業試験場と変わりながら、明治27年(1894年)まで続いた。官園では寒冷地に適する農作物を探るため各種作物の栽培が行われたが、エドウィン・ダンらの外国人教師が輸入家畜の飼育や加工技術の指導を行った。この農場は北海道農業の原点ともいえる。
外国人技師とまちづくり
また明治時代には、現在の国道5号線につながる札幌本道の建設のため、アンチッセルやワーフィールドのような外国人技師や官吏が訪れ、彼らの休憩場のため当時としては珍しい様式のホテルである峠下ホテルが作られた。外国人観光客と交流
外国人遊歩地となっていた大沼には、明治の始めからドイツやイタリアなどの王候貴族や多くの外国人が訪れていた。昭和4年(1929年)には、ノルウェーのスキー選手団が町民にスキーの妙技を披露するなど、昭和30年代頃までは、大沼公園に観光で訪れる外国人観光客との交流があった。国際交流のつどい
昭和54年(1979年)には、第1回国際交流のつどいを当時町内在住の秋尾晃正氏の提唱により、大中山地域農協青年部のホームスティ受け入れで開催された。この草の根交流は、財団法人北海道国際交流センターの活発な活動により全道各地に広がりをみせ、毎年実施されている。
数理科学振興会と学術交流
また、昭和58年(1983年)には、広中教育研究所主催の夏季セミナー「数理の翼」昭和63年(1988年)、平成4年(1992年)、5年(1993年)、8年(1996年)、11年(1999年)には財団法人数理科学振興会主催による「JAMSセミナー」が大沼で開催された際にも参加者との交流がもたれた。チーフースクール
チーフースクールは、明治14年(1881年)中国山東省に開設された外国人宣教師の師弟のための学校で、日本においては昭和39年(1964年)七飯町に開設された。七飯町のチーフースクールには日本と韓国で働く宣教師の師弟を預かっているが、アジアではもう1校マレーシアにもあり、そこでは東南アジアで働く宣教師の師弟を預かっている。
教育は基本的には英語で教育しているが、ハングル、中国語、日本語なども教えていた。
地域との交流で以前は峠下小中学校の運動会に参加し交流があった。平成10年(1998年)閉鎖となったが町民との交流が日常的になり、異文化に対する寛容性も育った。
お問い合わせ
政策推進課交流推進係
電話:0138-65-5792
FAX:0138-66-2054
Eメール:124-kouryu-s@town.nanae.hokkaido.jp