1532 |
天文1年 |
三嶋神社草創。 |
1576 |
天正4年 |
大川村の三嶋神社草創(大中山神社)。 |
1618 |
元和4年 |
三嶋神社遷座(異説として元和4年遷座とも言われている) |
1640 |
寛永17年 |
駒ヶ岳大噴火、津波起こり溺死700余名。 |
1682 |
天和2年 |
キリシタン禁止の高札が七重大川に建てられた。 |
1710 |
宝永7年 |
大中山神社再建。 |
1736 |
元文1年 |
大沼に夏でも鶴が多く棲息すと紀行文にある。 |
1751 |
宝暦1年 |
七重に鍛治が居住していた。 |
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8年 |
峠越えの道あり、大沼に鶴多く住む。 |
1765 |
明和2年 |
津軽大地震の余波を受ける。 |
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4年 |
駒ヶ岳小噴火。 |
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7年 |
七重大川に徒党強訴禁止の高札が建った。 |
1784 |
天明4年 |
駒ヶ岳小噴火。 |
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6年 |
七重戸数50戸(近隣を含めて)、人口260人、箱館戸数400 戸。 |
1794 |
寛政6年 |
藤山に陸奥伊達から来住者があった。 |
藤城神社勧請。 |
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12年 |
八王子千人同心、白糠・勇払に移住。 |
七重で養蚕を試みた。 |
峠下神社再建。 |
1801 |
享和2年 |
七重在住の石坂武兵衛の母が絹織物を織った。 |
小沼峠下の茶屋でソバ、ワラビ餅を売った。 |
峠下、森間の道路開削。 |
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5年 |
奉行の命により、七重に朝鮮人参畑を開いた。 |
倉山卯之助、箱館山及び七重に植林をした。 |
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12年 |
七重宝琳寺庵建立。 |
1820 |
文政3年 |
峠下に一行院建立。 |
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4年 |
七重の朝鮮人参を掘り取り江戸に送った。 |
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5年 |
峠下が市の渡から独立。 |
1849 |
嘉永2年 |
軍川へ下総から林八郎兵衛等移住し、開墾に着手した。 |
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7年 |
鶴野神社建立。 |
1854 |
安政1年 |
軍川神社建立。 |
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3年 |
駒ヶ岳大噴火、留の湯客30余命死亡。 |
八王子千人同心15名が移住して来た(一説に19名)。 |
南部藩岩尾勝左エ門が精進川鉱山を調査した。 |
藤山、軍川の山道開削(庵原幽斎)。 |
飯田甚兵衛(八王子千人同心)頭取として七重に入り養蚕を行う。 |
中島、飯田、鶴野が郷名を唱えた。 |
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4年 |
久根別川を浚って箱館、七重間に舟を通わせた。 |
中島郷に越後から農民5戸が移住した。 |
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5年 |
城山に武州加美郡から移住者があった。 |
八王子千人同心25名が七重、藤山に移住して来た。 |
栗本鋤雲の手により七重御薬園が開かれた。 |
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6年 |
鶴野郷に大友亀太郎の指導で移民が入った。 |
1861 |
文久3年 |
農夫を選定し、銃陣訓練を行う。大川七重に郷兵世話係を指名した。 郷兵は五稜郭内の郷兵宿舎で15日間の教練を受けた。 |
1865 |
慶応1年 |
相馬藩が軍川に開墾場を開いた。 |
鶴野妙見堂建立。 |
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3年 |
箱館奉行、プロシア人R・ガルトネルに七重の耕地試作を許可する。 |