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七飯町史(平成4年~平成6年)

西暦年 年号 七飯のあゆみ(平成4年(1992年)〜平成6年(1994年))
1992 平成4年 北海道 人口 5,696,285人
七飯町戸数 8,677戸
人口 25,496人
道知事 横路 孝弘氏
町長 金沢 精一氏
1月 国際交流推進室新設(役場内)。
七飯町人口 25,000人到達(1月22日)。
第26回大沼雪と氷の祭典、成人式開催。
3月 「北緯42度の里」の七飯町をPRのため歓迎塔設置(国道5号線、函館市との境)。
冬トピア(本町上台)公営住宅建設事業終了。
4月 七飯町(流域関連)公共下水道、大川地区一部地域で処理開始。
6月 「文化の森」構想による文化センターの建設事業スタート。
7月 大中山町民センター建設開始。
8月 北海道大沼国際セミナーハウス完成。
七飯町「地域ふるさと振興事業」創設。
9月 学校週5日制スタート(毎月第2土曜日を休日とする)。
10月 第2回全国駒ヶ岳サミツト&フェスティバル開催(大沼)。
1000万人ラジオ体操会、駒ヶ岳中腹で開催。
12月 大沼簡易水道東大沼地区地域拡張工事完成。
大沼中学校新屋内体育館第2期工事完成。
1993 平成5年 北海道人口 5,703,532人
七飯町戸数 9,036戸
人口 26,324人
道知事 横路 孝弘氏
町長 金沢 精一氏
1月 第27回大沼雪の祭典、成人式開催。
2月 コンポスト利用実践交流会開催(生ゴミ減量、リサイクル)。
大沼中学校新体育館落成、創立45周年記念式典挙行。
3月 スパイクタイヤ使用禁止地域として指定される。
「ななえの歴史と伝説」発刊。
4月 役場、毎週土曜日閉庁開始。
社会福祉法人ななえ福祉会設立(緑、藤城季節保育所の経営を引き継ぐ)。
5月 「財団法人北海道大沼国際交流協会」設立。
「北海道昆布館」完成(ヤマトタカハシ株式会社)。
6月 地域ケア推進特別対策事業開始。(福祉政策の充実)。
7月 12日、22時17分頃、北海道奥尻島北とするマグニチュ ード7.8の北海道南西沖地震が発生し、津波や山崩れを誘発して奥尻島はじめ桧山管内は死者、行方不明者、火災、家屋の流失など甚大な被害を被った。七飯町でも被害総額5億22万5千円の被害を被った。最大の被災地奥尻島は青苗、稲穂地区で大津波が発生して家屋や漁船が流失、青苗地区では山崩れでホテルが埋没するなど壊滅的大打撃を被った。奥尻町だけで死者172名行方不明者27名の人命が失われた。
農業委員選挙(第15回)。
8月 国際交流の集い15年目を迎える(七飯から全道へ)。
9月 農作物冷害対策本部設置(異常気象による。)
10月 七飯町視察団一行、アメリカ マサチューセッツ州コンコード町訪問
(姉妹関係を念頭において、「北緯42度の歴史の町と友情を!」)。
11月 93 七飯町景観フオーラム開催(国際セミナーハウス)。
1994 平成6年 北海道人口 5,714,811人
七飯町戸数 9,345戸
人口 26,917人
道知事 横路 孝弘氏
町長 金沢 精一氏・水嶋 清氏
1月 第28回大沼雪と氷の祭典、成人式開催。
2月 大中山町民センター(大中山コモン)完成《大中山地域の多目的施設》
平成5年度渡島管内教育実践社会教育部門で「七飯町民劇場」が受賞。
3月 七飯町長選挙 水嶋清氏 当選
町議補欠選挙 牧野喜代志氏当選
社会教育施設『文化の森』構想による「まちづくり推進センター」 と「大ホール」着工。(平成7年(1995年)11月完成予定)。
七飯町スポーツセンター開館20周年記念誌発行。
社会福祉法人七飯有隣会(字鳴川、軽費老人ホームケアハウス)フエニツクスコート完成。
4月 「七飯町高齢者保健福祉計画」策定。
一般廃棄物最終処分場(ゴミ最終処分場)完成(字仁山)。1日より運用開始。
大中山放課後児童対策事業「ひまわりクラブ」開設。
七飯上水道、藤城簡易水道、大沼簡易水道の集中監視システムの「データーローガシステム」稼働。
5月 七飯町助役 金澤壽氏選任
七飯町収入役 神忠氏選任
七飯町教育長 小泉幸雄氏任命
7月 「ユニマットミュージアム大沼ヴェネチアガラス美術館」(ガラス工芸美術館)オープン。
8月 国際理解講演会、デイヴィット・ナツプ氏(太平洋を越えたメッセージ)開催。(大沼国際セミナーハウス)
東大沼小学校校舎新築工事着工。
9月 高齢者「緊急通報システム」事業開始。
七飯町百人委員会発足。
10月 文化講演会 小林 完吾氏(フリーアナウンサー)
「みんな同じ、共に生きる、幸せって何だろう」 。(大沼国際セミナーハウス)
11月 文化功労賞 金沢精一氏 受賞。
桜町墓地造成完了。大沼火葬場廃止。
28日、21時19分頃、北海道から東北、関東にかけて強い地震が発生し青森県八戸市が震度6(烈震)、函館は震度4を記録、震源地は三陸のはるか沖の太平洋上でマグニチュード7.5と発表され、三陸はるか沖地震と命名された。

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