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七飯町の農業

 七飯町は、明治2年(1869年)にプロシア(現ドイツ)人、R.ガルトネルが洋種農作物の栽培を行ったことが、当町農業の契機となり、日本における洋式農法を基盤とした近代農業発祥の歴史を持つ町です。

 現在の当町における農業の中心は、水稲をはじめ馬鈴薯・大根・人参などの畑作、りんご・ぶどうなどの果樹、酪農、畜産と全般に渡っており、近年はカーネーションをはじめとする花き栽培が盛んであります。

エドウィン・ダンと近代農業

七飯の近代農業、ひいては日本の近代農業の黎明は、安政2年(1855年)の箱館開港から始まります。この時、七重(今の七飯)は外国人の遊歩地区に指定され、外国船に食糧を供給するため、いち早く西洋農法が取り入れられました。

のちに官園は、七重開墾場、七重農業試験場、七重勧業試験場と名称を変えながら、様々な作物の栽培を行ったほか、エドウィン・ダンらの外国人教師などの指導を受け、農業の近代化に大きな足跡を残しました。

七飯のりんごの生みの親―ガルトネル

榎本軍との間に大規模な耕地を借り入れたプロシア人のガルトネルは箱館戦争の後、明治新政府の手に引き継がれ、七重官園となりました。
官園は農事試験場の冠称で名称は七重開墾場、七重農業試験場、七重勧業課試験場と変わりながら、明治27年(1894年)まで続きました。その間ガルトネルの農業への貢献は大きく、リンゴやブドウなど多くの作物を日本に紹介しました。七飯の果実は、ガルトネルの伝統を受け継いでいます。
スターキング、つがる、レッドゴールドなど、どれも伝統と風土が育てた名作です。また、この農場の実習生たちはのちに北海道開拓に大きな足跡をのこしました。

お問い合わせ

農林水産課

電話:0138-65-5793

FAX:0138-66-2054

Eメール:nourin@town.nanae.hokkaido.jp

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